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プロフィール
専門は英米文学です。とくに20世紀の小説作品を研究しています。担当している科目は、文学、英語です。好きなことは、読書、オートバイツーリング、カメラ(デジタルカメラ、銀塩カメラ)、音楽鑑賞(クラシック、英米のロック、アイルランドの民俗音楽etc.)などです。研究室は40号館4Fにあります。気軽に遊びに来てください。

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旅のテーマソング:Talking Heads’ ’Road to Nowhere’(上)

2010.06.06 23:51 | my favorite songs

Talking Heads’ ’Road to Nowhere’

 数年前、スポーツスターC(カスタム)という1200ccのハーレーダビッドソンで西湘バイパスを走っているときに、エンジンの鼓動と後輪がバイパスのアスファルトを蹴るリズムが呼び水になったのか、突然トーキングヘッズの名曲「ロード・トゥ・ノーホエア」が頭の中で鳴ったのである、などと書けば、小林秀雄「モオツァルト」の例の「僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである」を意識した自己神話化と思われるかも知れない。そして、それは実際に自己神話化以外の何ものでもないのだが、それというのも、「突然」という言葉に嘘と真実があるからである。
 「突然」、あたかも神が降臨したかのように、天啓があったというような事態があるわけがない。トーキングヘッズというバンドのことを知らなければ、また、その名曲「ロード・トゥ・ノーホエア」を聴いたことがなければ、仮に、その曲が頭の中でがんがん鳴り出そうとも、それがトーキングヘッズの「ロード・トゥ・ノーホエア」であることを同定しようがないからだ。つまり、「突然」などということはないのであって、当然のことながら、「ロード・トゥ・ノーホエア」という曲はぼくの音楽的記憶の中にそのときすでに仕込まれていたわけである。仮に「突然」があったとしても、その前提としてそこには長い仕込みの時期があったのだ。
 では「突然」が嘘かといえば、必ずしもそうとはいえない。スポーツスターで走るという行為と「ロード・トゥ・ノーホエア」を聴くという行為は、それぞれ異なる時と場所で行われていたのだが、そのとき、西湘バイパスを平塚から小田原方面に向かって、左手に光り輝く海、前方に伊豆半島と箱根の山々を見ながら西走している瞬間に、ぼくの身体の中で「走る」という行為と「聴く」という行為が一つになったからだ。同調したからだ。しかも、その突然の瞬間が訪れるためには、オートバイはスポーツスターでなければならなかったし、場所は西湘バイパス下りでなければならなかった。そして、記憶から呼び覚まされなければならなかったのは、他の曲ではなかった。「ロード・トゥ・ノーホエア」でなければならなかったのである。
 なぜスポーツスターでなければならなかったか。その説明はむずかしい。スポーツスターで疾走したことのあるライダーならば、あるいは曲を聴かせれば、すぐ納得してくれるだろう。言葉は必要ないだろう。しかし、スポーツスターのエンジンの鼓動や、あの後輪が地面をカッ、カッと蹴って風を切る感じを味わったことのない人には百万言を費やしてもわかってもらえないだろう。要は、「ロード・トゥ・ノーホエア」のリズムが、西湘バイパスを70キロ前後のスピードで走っているときのスポーツスターの鼓動を想起させた、あるいは逆に、エンジンの鼓動が「ロード・トゥ・ノーホエア」のリズムを喚起させたということだ。もしもこれで説明になっていないというならば、あくまでもぼくの個人的な感じなのだけれども、同じハーレーダビドッソンでも他の車種では、ついぞ「ロード・トゥ・ノーホエア」は聴こえてこなかった、というしかないだろう。
 それでは、なぜ西湘南バイパスでなければならなかったか。それも下り線でなければならなかったのか。こちらの理由は明白だ。当然そのときの天候状態にも左右されるけれども、平塚から小田原に向かう下り線は海側を走っており、解放感が抜群であるばかりか、進行方向には、関東のライダーの聖地ともいうべき、箱根や伊豆半島が控えているからだ。西湘バイパスを西走しながらライダーの意識はいやが上にも高揚するのだ。一方、多くのライダーが上り線を利用するのは帰途であり、そこには下り線を走っていたときの精神の高揚はもはや見られない。旅は日常生活への帰還という形で終わろうとしているからだ。ついでに、前もって言っておけば、西湘バイパスを「西走する」ということにも、「ロード・トゥ・ノーホエア」を思い出させる何か象徴的な意味がありそうだ。
 長く理屈っぽい前書きになってしまったが、以来、トーキングヘッズの「ロード・トゥ・ノーホエア」はぼくのオートバイツーリングのテーマソングになった。旅の主題になった。曲は重々しいアンセム風(anthemとは英国国教会の礼拝式で歌われる合唱曲)合唱で始まる。生便な和訳だが、その内容な以下のようである。
 
 さて、我らは我らの行く末を知る。
 しかし、我らは我らの来し方を知らず。
 そして、我らは我らが学ぶであろうことを知る。
 しかし、我らは我らが目にしたことは言えず。
 そして、我らは幼子ではない。
 そして、我らは我らが欲するものを知る。
 そして、未来は避け難い。
 我らに事を成就する時を与えよ。

 この出だしの部分はあるいは、賛美歌など何らかの出典があるのかも知れないが、寡聞にして知らない。しかし、これはアンセム風というよりも明らかにアンセムであって、この部分を聴くといやが上にも厳粛な気分になり身が引き締まる。長途の旅に出立する日の朝の情景がよみがえる。冷たいピーンと張りつめた朝の空気の中で、黙々とオートバイの荷台に旅の荷物を括りつけている自分。やがて荷物の括りつけが終わると、ヘルメットをかぶりながら空を見上げる。雲行きやよし。今日は絶好のツーリング日和のようだ。両手にグラブをしっかりとはめると、さて、準備はすべて整った。いよいよエンジンに火を入れる。セルボタンを押すと、一発でエンジンがかかる。幸先がいい。オートバイもこの時を待っていたようではないか。オートバイにまたがり、傾いていた車体を起こし、サイドスタンドを後ろに跳ね上げる。クラッチを引いてギアをローに落とすほんのわずかな時間に、呼吸を整え、眼をとじて、実際に言葉に出すわけではないけれども、心の中で「我らに事を成就する時を与えよ」と旅の安全と成就を祈るのだ。
 出発の直前は厳粛な時間だ。祈りの時間だ。しかし、一度オートバイが轟音とともに地面を蹴って駆け出すや、もうそのときすでに厳粛な気分は消えている。跡形もない。厳粛な気分も祈りもあっという間に置き去りだ。あるのは、まだ見ぬはるか遠くの目的地へのいや増す期待、旅することの喜びだけだ。「ロード・トゥ・ノーホエア」もまた、前奏曲とも言えるアンセムが終わると、聖なる教会の扉からいきなり俗世間に飛び出たかのように、馬がギャロップするような軽快なリズムと、猥雑な気分が横溢した音楽に早変わりする。

 オレたちは此の世にない場所への途上にある
 さあ、乗れよ
 此の世にない場所まで乗っけてくぜ。
 乗って行こうぜ。

 今朝はいい気分だ
 だってさ、
 オレたちはパラダイスへ向かっているんだぜ
 さあ、出発だ、出発しよう。

 オレたちは此の世にない場所への途上にある
 さあ、乗れよ
 此の世にない場所まで乗っけてくぜ。
 乗って行こうぜ。

 ひょっとして自分は今どこにいるのかなあと思っていないかい。
 オレは気にしないね。
 時間はたっぷりあるんだぜ
 お前をあそこへ連れていく、連れてってやるよ。

 オレたちは此の世にない場所への途上にある
 オレたちは此の世にない場所への途上にある
 オレたちは此の世にない場所への途上にある

 オレの心の中には(幻想の)都市があるのさ
 さあ、来いよ、乗せて行ってやるぜ
 大丈夫さ、ベイビー、大丈夫だよ

 それははるか彼方にある
 でも、日一日と近づいている
 だから、大丈夫さ、ベイビー、大丈夫だよ

 一緒に行きたくないかい
 そして、オレがこの歌を歌うのを助けてくれるだろう?
 だから、大丈夫さ、ベイビー、大丈夫だよ

 世間のやつらはお前に指示する。
 でも、お前は馬鹿にされるばかりだぜ
 だから、大丈夫さ、ベイビー、大丈夫だよ。

 オレたちは此の世にない場所への途上にある

 ‘nowhere’とは「どこにもない場所」だ。この世界にはない場所の謂いであり、もっと言えば、この世にはない場所、つまりは此岸ではなく彼岸、あの世のことであろう。それはユートピアであって、天国であり、地獄でもある。だとすれば、’road to nowhere’は、それが向かう場所が天国であれ地獄であれ、要は、われわれの人生のことになろう。もちろん、この歌詞はダブルミーニングであり、「パラダイス」へ連れて行ってやるよと旅へと誘う男の言葉には性的なニュアンスもあるし、この曲にはドラッグソングの可能性もないことはないだろう。いや、まぎれもなくドラッグソングだろう。
 しかし、この歌詞には多重な意味があるけれども、性もドラッグも括弧に括って、ぼくはこの曲をストレートに捉えたい。’road to nowhere’を人生と旅の暗喩として捉えたい。人生はまさに‘nowhere’に至る旅だ。英語でも’go west’は西方浄土への旅立ちを意味するが、まさに西湘バイパスを「西走する」旅なのである。今はしていないが、かつて髑髏のワッペンを自作して、そこに’road to nowhere’という文字をプリントしてヘルメットに貼っていたことがある。ぼくにとっては、’road to nowhere’は’memento mori’(「汝、死を覚悟せよ」)と同じことを意味していたからだ。ぼくらの前には’road to nowhere’が続いている。しかも、’nowhere’は至る所でぼくらを待ち構えている。だから、ぼくらはぼくらの人生を仇や疎かに扱ってはならないのだと肝に銘じよう。
 最後に、もうひとつ、なぜぼくがこの’road to nowhere’をオートバイツーリングのテーマソングとして愛聴しているかと言えば、’road to nowhere’が「目的地のない旅」とも解釈できるからだ。‘nowhere’がこの世にない場所であるならば、当然、’road to nowhere’はこの世界にあってはどこにも通じていない道とも言えるだろう。この解釈に則って七面倒くさい人生論を語ろうとは思わない。しかし、「目的地のない旅」に無限のロマンを感じるのはぼくだけだろうか。

*Talking HeadのアルバムLittle Creatures’所収。

コメント
内藤先生

 80年代の曲はよく聴きましたよ。MTVで湯水のように流されるビデオクリップは毎日のように見ていましたから、ヒット曲はほとんど知っているのではないかと思います。大好きな曲もあります。今でもテレビなどでなつかしいビデオクリップが流れると、ついつい見入ってしまいます。しかし、MTVの功罪はいろいろなところで語られるのではないかと思いますが、少なくともぼくにとっては、その場で音楽を見て楽しんでも、CDを購入して聴こうという方向にはついに行かなかったということです。80年代で好きなアーティストはピーター・ガブリエルとかダイアー・ストレイツあたりでしょうか。今もダイアー・ストレイツを聴きながらこれを打っていますが、ポリスやU2などもよく聴いています。80年代が音楽の不毛な時代と思っているわけではありません。むしろ音楽的にもバブルな時代でしたね。
投稿者:大神田: at 2010/07/03 10:35
内藤先生

 80年代の曲はよく聴きましたよ。MTVで湯水のように流されるビデオクリップは毎日のように見ていましたから、ヒット曲はほとんど知っているのではないかと思います。大好きな曲もあります。今でもテレビなどでなつかしいビデオクリップが流れると、ついつい見入ってしまいます。しかし、MTVの功罪はいろいろなところで語られるのではないかと思いますが、少なくともぼくにとっては、その場で音楽を見て楽しんでも、CDを購入して聴こうという方向にはついに行かなかったということです。80年代で好きなアーティストはピーター・ガブリエルとかダイアー・ストレイツあたりでしょうか。今もダイアー・ストレイツを聴きながらこれを打っていますが、ポリスやU2などもよく聴いています。80年代が音楽の不毛な時代と思っているわけではありません。むしろ音楽的にもバブルな時代でしたね。
投稿者:大神田: at 2010/07/03 10:35
内藤先生

 80年代の曲はよく聴きましたよ。MTVで湯水のように流されるビデオクリップは毎日のように見ていましたから、ヒット曲はほとんど知っているのではないかと思います。大好きな曲もあります。今でもテレビなどでなつかしいビデオクリップが流れると、ついつい見入ってしまいます。しかし、MTVの功罪はいろいろなところで語られるのではないかと思いますが、少なくともぼくにとっては、その場で音楽を見て楽しんでも、CDを購入して聴こうという方向にはついに行かなかったということです。80年代で好きなアーティストはピーター・ガブリエルとかダイアー・ストレイツあたりでしょうか。今もダイアー・ストレイツを聴きながらこれを打っていますが、ポリスやU2などもよく聴いています。80年代が音楽の不毛な時代と思っているわけではありません。むしろ音楽的にもバブルな時代でしたね。
投稿者:大神田: at 2010/07/03 10:35
↓アルバム名をコピペする際に間違えました。"Heaven"は曲名で、"Fear Of Music"が正しいですね。
投稿者:内藤統也: at 2010/07/01 20:25
"Talking Head"の"Heaven"も、この曲を収録したアルバム”Heaven”も大好きです。もともと、"Talking Head"を聞き始めたのには、不純な動機があるのですが、その子とは離ればなれになった後も"Talking Head"を聞き続けています。

"David Byrne"の詩って、中学校で習う英単語で書かれているのですが、当時はあまり理解出来なかったのです。やっと最近になって、意味が少しずつ分かるようになってきました。

先生が80年代を「音楽がダンスミュージックに堕してしまった時代」と好きになれないのは仕方ないです。人それぞれ好みがありますものね。でも、良い曲もたくさんあるので、是非、機会が合ったら頭から嫌わず、偏見を持たずに聴いてみて下さい。

私は、80年代の音楽シーンの罪は、音楽が金儲けになる道を開拓してしまったことにあると分析しています。それまでは自己表現や、せいぜい女子にモテたいと言った事が音楽の目的だったのに、お金が生まれることが分かって、色々な人が集まって来てしまったんだと。
投稿者:内藤統也: at 2010/07/01 20:21
内藤先生、いつもコメントありがとうございます。
Talking Headsを初めて知ったのは、もう20年ほど前の夏休みになるでしょうか、姉妹校のオレゴン州パシフィック大学の夏期語学講座へ学生を引率して行ったときに、向こうでお世話になったブラッド・マックスフィールド先生の家にホームステイし、そのときに、これいいよとTalking Headsのライブビデオを見せてもらったのです。あのデビッド・バーンが歌舞伎からヒントをもらったという大きな四角い白いスーツを着て、まさに引き攣るような、悪くいえば鶏が首をしめられたときのような声で歌いまくるビデオです。このライブビデオはぼくの好きなライブビデオの五本の指に入ります。
Talking Headsの魅力は、恐ろしく知的でありながら、しかしミーハー的なところでしょうか。先生も書いていたように80年代は、以下の点では先生に申し訳ないのですが、音楽的には最悪の時代でした。音楽がダンスミュージックに堕してしまった時代としかぼくには総括しようがないのですが、唯一、など書けば先生を傷つけることになるやも知れませんが、Talking Headsは楽しく聴けます。楽しく聴けるだけでなく、知的刺激も受けます。きっとデビッド・バーンが音楽の危機を誰よりも深くとらえており、それがあのようなパーフォーマンスになり、以後、彼自身のレーベルを作って世界各地の埋もれた音楽やアーティストの開拓に邁進するようになったのでしょう。
実は、下はちょっとした付け足ししか考えていません。ご期待頂けるような内容にはならないと思います。それよりも、ぼくにはRoad to Nowhereとほとんどセットになっている大好きな曲があり、近いうちに、気が向いたらそれについて書こうと思っています。Heavenという曲です。英米のアーティストの曲にはタイトルにheavenという語が含まれる曲は枚挙にいとまがありませんが、やはり何といってもTalking HeadのHeavenが最高です。曲もよければ歌詞の内容もよい。ほんとうにこの曲で歌われるHeavenという名のバーがあればいいのになあと、曲を聴く度に思います。爽やかな午前中に聴きたい曲です。
写真はたぶん先生の書いていた辺りで撮影したと思います。危険なのでほんとうはやってはいけないのですが、あまりにも景色がよいので走りながらデジカメで撮影しました。
投稿者:大神田: at 2010/07/01 11:17
先生、カッコ良すぎます。

私は、80年代に青春を送ったので、この歌も含め80年代の音楽大好き人間です。"Talking Heads"は日本では今ひとつ地味な人気ですが、良い歌をたくさん書いていますよね。”Road To Nowhere"も、B&Drのリズムと、デビッド・バーンの不思議な歌声が大好きです。

大神田先生がスゴいと思うのは、バイクで走りながら、"Highway Star"や"Running On Empty"ではなく、 "Talking Heads"の”Road To Nowhere"が頭の中で鳴った事です。

80年代の音楽は何かと評判の悪く、私は、「音楽が何もしなかった80年代」などと言われるの聞く度に、心を痛めます。私の青春の音楽達をそんな風に言われるのはつらいです。でも、先生のように、その前からずっと音楽を聞いていて、80年代の音楽を私と同じように口ずさんでいる人がいることを知って、とても感動しています。

もうひとつ感動しているのは、私が小田原の出身だからです。まさに、先生の写真の風景を見ながら私は育ちました。写真は大磯・二宮あたりから酒匂川までのどこかで撮影したものでしょうか。私の80年代の風景であります。

YouTubeで"Talking Heads - Road To Nowhere"と検索すると、ビデオク・リップを見る事が出来ます。冒頭の青い空とコーラスと真直ぐ伸びた道が印象的です。ヘビメタ少年だった当時は、音楽番組でこの曲のビデオがかかると早く終わらないかな?と思ったものですが、今見るととっても味が合って良いです。

"Talking Heads"は"R.E.M."や"Radiohead"に大きな影響を与えていると思うし、"David Byrne"の体を震わすパフォーマンスは、甲本ヒロトのパフォーマンスに受け継がれているように思います。

語り出すときりがないですね。題名に(上)とあるので、続きも楽しみにしています。
投稿者:内藤統也: at 2010/07/01 09:30

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